庭石




「お父さん、どっちに入ってると思う?!」

 こんがり日焼けした息子が左右の拳を突き出した。

「右」

 なんだろうと思って指さすと、息子は右の手のひらを得意げに開いて見せてきた。そこにはつるりとした小さな石があった。

「あたり!これ拾ったんだよ。宝石かなぁ」

 どう見ても庭石用に研磨された玉砂利にしか見えないが、息子の期待に満ちた笑顔を見ていると口に出せなかった。

「そうかもしれないな」

 勝はこういう時、本当のことを教えるべきか、夢を壊さずにおくべきか、未だにわからない。以前の自分ならわかったのだろうかと考える。以前とは、健忘症を患う前のことだ。



 佐藤優は警察官である。高校を卒業して警察学校に入り、厳しい訓練を経て埼玉県警に所属した。その間に結婚した妻とは別れ、息子の翔太が残った。しかし勝の健忘症は警察官としての仕事や家族のこととはなんら関係がない。もっと不思議な、一言では言い表せないような事件に遭遇したためだった。



「これなんていう石だろう?」

 翔太が石を透かすように灯りにかざした。勝が自身の息子と違和感なく生活できるようになったのはここ最近のことだ。風呂は体を洗う場所であるとか、椅子が椅子であり机は机であるとか、そういったことは覚えている。それを幸いと呼べないくらいに家族に打撃を与えたのは、彼が身近な人物から忘れていってしまうことだった。

「さぁ…お父さんにはわからない。調べるには割ってみないとな」

 翔太は残念でもなさそうにふーん、と言った。今の勝にはこの子供が自分の息子で、翔太という名前だとわかる。だが知識として知っているだけで、本当に息子であった記憶はない。

「おばあちゃんがね、大きくなったら自分で調べてみるといいって」

「そうだな。翔太なら頭がいいからわかるかもしれない」

 翔太が照れたような得意なような顔をする。おだてでなくこの子は頭がいいと勝は思う。その頭のよさから、自分の症状の重篤さを自分以上に悟っているのではないかと思う時がある。

「わかったらコウキにも教えよっと。お父さんコウキ覚えてる?」

 「…覚えてない」

 本心を言うしかなかった。本当に覚えていなかった。翔太は不自然なまでに明るい声で饒舌にコウキの説明を始めた。コウキは弘紀と書くこと。同級生で友達であること。放課後は一緒に帰っていること。

 勝は悲しいような必死さで喋り続ける息子を抱きしめたい衝動に駆られた。しかし自分にそんな資格があるのかわからなかった。

「そうか。もう夕飯の時間だから、作りながら聞きたいな」

 勝が立ち上がると、翔太が走ってキッチンに先回りした。

「これお父さんにあげる!いつか調べてあげるから持ってて」

 翔太は少しいびつな、光沢のある石を差し出した。

「ありがとう。楽しみだな」

 勝が受け取ると、それは翔太が握りしめていたためじんわりと温かかった。いつか息子はこの石のことを忘れるかもしれない。星の数より多い石ころの中の一つで、特別な価値がないと気づくかもしれない。はたまた、尽きない興味をもって博物学者にでもなるかもしれない。



 夕食を済ませた勝は翔太と一緒に風呂に入り、息子を寝かしつけた。石は自室の棚の上に飾った。カーテンを閉めながら窓の外を覗くと、家々のささやかな明かりが見えた。あの石の中身はどうなっているのだろう、と勝は思った。



おわり/2015.8.8

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